第1回 禁酒・禁煙という誤解

教会は自由のオアシス 第1回「禁酒禁煙という誤解」

 

<目次>

1 幕末に到来した「大覚醒運動」

2 ピューリタンの信仰

3 大覚醒運動と禁酒禁煙について

4 聖書の時代の飲酒・喫煙について

5 最後にお酒について私の個人的な体験を三つ

6 結論

 

 

 1 幕末に到来した「大覚醒運動」

 幕末・明治初期に、日本にプロテスタントキリスト教が、宣教師によってもたらされました。最初は、アメリカから、まもなくカナダやイギリス、そしてドイツや北欧から宣教師がやってきました。特にアメリカの宣教師たちは、19世紀に起こった「大覚醒運動」の影響の下にあった人たちでした。「大覚醒運動」とは、西部開拓時代の人々の荒んだ心を癒し、キリスト教信仰へ立ち返ることを目指した教会の宣教活動でした。ですから、罪を自覚し、悔い改め、清潔な生き方を目指して、キリスト者として生きることが強調されました。このアメリカの宣教師たちがもたらしたのが、「ピューリタン」信仰です。英語でPuritansと言います。昔は「清教徒」と訳されていました。

 

2 ピューリタンの信仰

 ピューリタンたちは何を目指したのでしょうか? 彼らの信仰の目標は、スイス・ジュネーヴの宗教改革者ジャン・カルヴァンのモットーへ遡ります。それは、「神にのみ栄光を(捧げる)」というものです。人生の目標・目的は、自分の人生をかけて神様にのみ栄光を捧げて生きることにある、という主張です。

この目標達成のためには、人生の楽しみも禁欲して、与えられた神様からの「召命としての職業」を通じて、勤勉に働き、清い生活を送ることが、求められました。そのため、「禁酒・禁煙」どころか、文化的な楽しみ、例えば観劇なども禁欲すべし、ということになりました。

こうしてカルヴァンの影響を受けたイングランドのピューリタンたちは、彼らの少し前の時代には、世界に冠たるシェークスピアが活躍する演劇文化が花開いていたのに、なんと劇場を閉鎖してしまいます。それは、いわゆるピューリタン革命=イングランド革命によって、彼らが政権を握った後のことです。

 

 でもこれは行き過ぎでした。なぜならイングランドの民衆は、何もピューリタンだけではなかったからです。英国国教会の信徒も数多くいたわけで、この人たちの多くは、これまで通り文化的な人生の楽しみを否定しなかったのです。もっとも、ピューリタンの中にも英国国教会の会員として留まった人たちもいました。それに飽き足らない人たちは、国教会から分離して、新しい教会を立ち上げます。このピューリタン達は、「分離派」と呼ばれました。彼らはやがて「独立派」と呼ばれ、最終的には「会衆派」を名乗ります。

 

 スコットランドのピューリタンであり、「スコットランド革命」で女王メアリー・スチュアートを追放した長老派の影響を受けたイングランドの長老派の人たちや、下層階級のバプテスト派やその他の人たちと一緒になって、イングランド革命を成し遂げたのは、この「独立派」、のちの「会衆派」の人たちでした。

 

 しかし、ピューリタンの支配は、長くは続かず、やがて反動の時代を迎えます。世に言う「名誉革命」です。こうしてピューリタンたちは、弾圧され、迫害されて、一部はオランダに逃れます。オランダは、スペインからの独立の後、改革派教会を国教としていたからです。そこから「メイフラワー号」に乗って、ニューイングランドのプリマスに亡命したのも、「巡礼の父祖たち」と呼ばれた、会衆派の人達でした。アメリカ独立戦争とアメリカ建国にも、このピューリタンの思想が、大きな影響を与えました。

 

 ところが、「大覚醒運動」によって、罪を悔い改めて、信仰へ立ち返ることが強調されると、初期のピューリタンたちが持っていた、国家や社会の問題を信仰において捉える姿勢や社会変革の思想が、抜け落ちてしまいました。心の安心立命、救いの事柄だけが、中心的な目標になったのです。

 

3 大覚醒運動と禁酒禁煙について

 そして信仰者の振る舞いとしては、「禁酒・禁煙」が引き続き励行されました。この「大覚醒運動」によって最も教会員が増えたのは、バプテスト派とメソジスト派だと言われています。逆に会衆派は、この運動に乗り遅れ、教会員が増えなかったどころか、他教派の草刈り場のような事態となりました。つまり、多くの教会員が他教派へ転会してしまったのです。こうして会衆派は、バプテスト派やメソジスト派だけではなく、「大覚醒運動」以後に生まれたアメリカ特有の諸教派の後塵を拝することになったのです。その代わり、会衆派は、社会と国家の問題を信仰において把握する姿勢を、保持することができました。大覚醒運動における信仰の内面化の影響を、あまり受けなかったからです。

 

 このピューリタンの信仰が、日本に入ってきたわけです。そのため「禁酒・禁煙」をことあるごとに強調した日本のプロテスタント教会は、キリスト教信仰=「禁酒・禁煙」という誤解を、多くの日本人に与えてしまいました。そして多くの人が、「人生の楽しみ」を否定するような教えにはついていけない、自分とは関係ない、と思ってしまったわけです。これは、残念ながら、誤解です。

 

 もっとも他方で、日本人は、と言うか東北アジア人は、酒に弱いです、例えばヨーロッパ人と比較すると。それは、飲んだアルコールが血液中に入ってから、その酵素が分解される早さに関係します。私たちの場合、この作用が弱いので、すぐ酔ってしまうわけです。それで、酒乱になって、家庭内暴力に走る男も多くいたわけです。その人たちが酒をやめるには、「禁酒」の教えは救いだったのです、かつては。そして彼らの暴力の対象になっていた妻子たちにとっても、夫や父親が酒をやめてくれることは、福音だったのです。「禁酒」には、そういう効用、ご利益(りやく)、つまり恵みもありました。

 

4 聖書の時代の飲酒・喫煙について

 「喫煙」の習慣は、コロンブスが、カリブ諸島の先住民の習慣を、ヨーロッパに持ち込んだのが始まりです。ですから、聖書には「喫煙」や「禁煙」についての言及はありません。

 しかし「禁酒」ということも聖書にはありません。逆に、イエス様は、「大飯食らいの大酒飲み」と非難されたのです、敵対者からは。「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取り憑かれている』と言い、人の子(つまり、イエス様ご自身=引用者)が来て、飲み食いすると、『みろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。」(マタイ福音書1118-19節)イエス様は、この批判を自分で紹介されているのですが、それを否定されていません。

 

 さて、このイエス様の敵対者たちは、おそらくサドカイ派、つまりエルサレムの祭司たちだったと思われます。この人たちがイエス様に敵対した理由は、多岐に渡ります。でもその一つは、イエス様が、当時忌み嫌われており、彼らが交わりを断っていた取税人や罪人(その中に遊女も入る)の友となり、彼らと食事を共にして交わったからです。祭司たちには、これ見よがしの当て付けと取れたのでしょうか? 

 

 徴税人や罪人と一緒に食事をしていて、当時の民衆の宗教運動だったファリサイ派の人々が、イエス様の弟子に問う場面があります。「どうして彼は、徴税人や罪人と一緒に食事をするのか?と言った。」(マルコ福音書2章16節)つまり、この人たちは、律法を守らず、汚れている、とレッテル貼りされていたから出てくる問いです。それに対するイエス様の反論は、こうです。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(17節)これには注釈が必要です。「正しい人」とは、自称義人のことです。この自称義人が、他者を罪人と断定し、レッテルを貼り、貶め、差別していたわけです。ですから罪人と呼ばれた人たちのところへ、私は来たのだ、とイエス様は宣言されたのです。

 

 マタイ福音書の並行句(=マルコを参照して書かれた記事)では、「私が求めるのは、憐れみであって生贄ではない」というホセア書の言葉が挿入されています。つまり、神さまの憐れみは、この世で差別され、抑圧されている者の上にある、というのです。ところが福音書記者ルカは、「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ福音書5章32節)としています。「悔い改めさせるため」という付加文は、罪人を実態として捉えています。そのため「正しい人」=義人も自称義人ではなく、実際の義人になってしまいました。これでは、イエス様が罪人とレッテル貼りをされた人々との連帯を明らかにされた意味が吹っ飛んでしまいます。

 

 「禁酒」に対する反論をもう一つあげれば、イエス様の最初の奇跡行為は、カナの婚礼での「水をぶどう酒に変える奇跡」(ヨハネ福音書21-11節)です。もともとユダヤ文化は禁欲的ではありません。禁欲主義は、霊肉二元論のギリシャ思想に由来します。ですから、ユダヤ人の一人としてイエス様も、全く禁欲的ではなく、大いにぶどう酒をみんなと一緒に楽しまれたのだ、と想像できます。

 そういうわけで、「禁酒・禁煙」というのは、ピューリタン主義というある特定のキリスト教のある特定の時代と国々で実践された徳目であって、聖書的な根拠はなく、それゆえ普遍的なキリスト教の特徴ではありません。

 最も「禁煙」に関しては、信仰上の理由からではなく、健康上の理由から実践した方が良いに決まっています。肺癌になる危険性大ですから。ご承知のとおり、タバコの販売会社が「吸いすぎにご注意を」、という広告を出すぐらいです。

 

5 最後にお酒について私の個人的な体験を三つ

一つは、スイスでの体験です。私は、スイスのバーゼル大学神学部に都合4年半留学していました。バーゼルも宗教改革によってプロテスタントになったスイスの都市の一つです。ですから、私はてっきり今も人々は「禁酒」に励んでいるのかと思っていたのですが、バーゼルに到着した翌日、とあるレストランでお昼の食事をとっていたら、なんとある人たちがビールやらワインを飲んでいるではないですか! ま昼間からです。これには驚きました。

 

もう一つは、やはりバーゼルで最初に気づいたのですが、最初に記したように、ヨーロッパ人は酒に強いので、明らかに「アルコール中毒」とわかる人以外は、酔っ払って醜態を晒すことがない、という事実です。それでも長いこと子供の頃から親と一緒に食前酒などを飲んでいて、「アルコール中毒」患者になる人もいます。その人たちのために「青十字」(ドイツ語でBlaues Kreuz(ブラウエスクロイツ))というキリスト教の組織があって、そういう人たちを援助する働きをしています。アルコール抜きのビールを最初に開発したのも、この組織でした。

 

 3つ目は、韓国ソウルでの体験です。明治学院大学の教員時代、ソウルの長老派の大学の一つである崇実大学校(すんしるではっきょ)から招待講演に招かれた時のことです。

両大学間の姉妹校提携の記念に、誰か一人を招待するというので、私に白羽の矢が立ちました。仁川(いんちょん)空港へ迎えに来てくださった国際交流部の部長教授と秘書が、ソウルのホテルへ着いて、私と一緒の夕飯を共にした時のことです。

何を飲みますか?」と秘書さんに聞かれて、とっさに何も考えず、「ビールが欲しいです」と答えました。

すると秘書さんの顔が変わり、驚いて、「先生は本当に牧師様(もくさに)ですか?」と聞いて来ました。それで私は、あっ、しまった、と思いました。ここは、韓国や。韓国のキリスト者は、特に牧師は、禁酒だった、とすぐに気づいたからです。

私のお酒にまつわる失敗談です。つまり、韓国では、日本とは違い、今もピューリタン的な「禁酒」がとても強いプロテスタント教会が多いのです。もちろん日本でも、福音派やペンテコステ派の牧師や教会員は、禁酒を守っています。私は、そういう立場を尊重します。でも私自身は、「大酒飲み」と言われたイエス様の立場を取ってきました。

 

6 結論

 結論として、このコラムの第1回で言いたいことは、「禁酒・禁煙」は、一部のキリスト教の教派を除けば、キリスト教の一般的な教えではない、ということです。

 

畠山保男

 

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