第3回 マリアはキリストの母か?神の母か? –ネストリオスとネストリオス派教会—景教

第3回 歴史の散歩道 ネストリオスとネストリオス派教会景教

 

<目次> 

1.「神の母」か「キリストの母」か? エフェソ公会議とカルケドン公会議

2.「神の母」の背後にある「子なる神」というキリスト告白

3.新約聖書にないギリシャ哲学の概念でキリストを論じた教会教父たち

4.「キリストは(子なる)神」か?

5.唯一神信仰の枠内でキリスト告白を再考する

6.ネストリオスは教会の東方宣教と景教

7.おわりに

 

 

 

 前回処女降誕について書きましたが、その折に図らずも「神の母」というマリアの呼称に言及しました。前回の続きですが、今回はそのことを教会史的に追ってみます。

 

.「神の母」か「キリストの母」か? エフェソ公会議とカルケドン公会議

 ちなみに、マリアを「神の母」と呼ぶことを決定したのは、すでに共通紀元431年のエフェソ公会議の時です。その時マリアの呼称を巡って、「神の母」と呼ぶべきだと主張していたのが、エジプトのアレクサンドリアの総大主教キュリロスでした。それに対して、いやマリアはメシア=キリストの母なのだから、「キリストの母」と呼ぶべきである、と主張したのが、コンスタンチノポリス(=現在のトルコのイスタンブール)の総大主教ネストリオスでした。この二人が、マリアの呼称を巡って論争していたわけです。その決着のためエフェソで公会議が開かれたのです。

 

 ところが、前日に到着したキュリロスたちは、ネストリオスたちが到着するのを待たずに開会を宣言し、ネストリオスを異端として断罪・破門するというとんでもない暴挙に出ます。一体公会議って何よ、と問わざるを得ない事態が生じたわけです。聖霊の導きどころか、キリスト者として、いや人間としておかしい、その振る舞いは、と言わざるを得ないですね。1日遅れで到着したと言われるネストリオス側も、キュリロスを異端視することになります。こんなエフェソでの出来事を、第三回エキュメニカル公会議と認めること自体が、教会史の記述としておかしい、と私は思います。

 

 ところが、20年後共通紀元451年に開催されたカルケドン公会議は、なんとエフェソ公会議の決定を追認し、ネストリオスを異端として再確認し、返す刀でキュリロスの後継者とも見なしうるエウチュケスという人物をも異端として断罪します。それは、キリストを「子なる神」とするあまり、キリストが人間であることを否定するように受けとられかねない主張を、エウチュケスがしたからだ、と言われています。エウチュケスの立場は、人性が神性の中に溶け込んで、キリストの神性に偏った、そこに比重をかけすぎた「単性キリスト論」として退けられたわけです。

 

 カルケドン公会議の教父たちは、キリストは、神としての性質(神性)と人としての性質(人性)の両性を持っておられる、と告白します。これを両性キリスト論と呼びます。このカルケドンの両性キリスト論の定式は、ラテン語で vere Deus et vere homo(まことの神にしてまことの人)と表現されました。しかし、キリストが神性を持つこととキリストが「真(まことの)の神」であるという定義とは、本来同一ではありません。なぜなら、私たち人間は、みんな神様のネフェシュ(命の息)を吹きかけられて生きるものになった(創世記2章7節)、とあります。このネフェシュに神様の性質が含まれているわけですから、人間は神性(心的な性質)を付与されているわけです。ましてメシアにおいておや! いずれにしても、神性と人性がキリストにおいて統合されているというわけです。

 

 でもキリスト論論争の発端となったキュリロスは、死亡していて断罪されなかったこともあり、「神の母」というマリアへの呼称はそのまま承認されて、現在に至っているわけです。

こうしてネストリオス派教会とエウチュケスに同調していた人たちが共に異端とされ、破門されます。その結果、このカルケドン公会議で、東方教会が二つに分裂する羽目になりました。一方は破門した側の「東方正教会」(Eastern Orthodox Churches)です。両性キリスト論を奉じる教会です。破門された側が、オリエント正教会(Oriental Orthodox Churches)です。単性論派教会とみなされてきました。

でも、キリストの神性を強く主張したのであって、キリストの人性を否定したわけではありませんでした。エジプトのコプト教会、エチオピア正教会、シリア正教会、インド・シリア正教会、アルメニア使徒教会などがこのオリエント正教会に属しています。これらの教会は、破門されたのだから、「正教会」ではあり得ず、東方「諸」教会と呼ぶべきだ、と主張する人が今でもいますが、それはカルケドンの決定を何ら反省することもなく、絶対視しているからです。そういう人は、世界教会協議会の枠内で、二つの正教会が対話をしていることを知らないのでしょうか?

 

 ネストリオス派教会は、どちらの正教会にも属していない、とみなされています。破門されて「正統教会」ではないとされ、他方で「単性論派教会」でもないからです。そもそもネストリオスは、両性キリスト論の立場だったのです。こんな歴史を知ると、ネストリオス派教会にいたく共感せざるを得ません。ネストリオス派教会の名誉回復が、エキュメニカルに(世界教会的に)必要です。

 

(この項、J.N.D. Kelly, “Early Christian Doctrines” A&C BlackFifth Edition 1993.J.N.D.ケリー 『初代教会の教理』 その12章「キリスト論的設定」310ページ以下参照。邦訳あり。すいません、邦訳は、『初代教会の教理史』上下巻 一麦出版社)キュリロスとネストリオスの論争は、上巻です。

 

2.「神の母」の背後にある「子なる神」というキリスト告白

 なんだか変ですね。変だと言うのは、ネストリオスが異端とされる理由が、私には皆目分からないからです。彼のキリスト論は、「両性キリスト論」だったのに? なんでマリアを「キリスト(メシエア)の母」と呼ぶことが異端になるのでしょうね? 逆に「神の母」ってなんでしょう? なぜマリアが「神の母」と呼ばれるか? それは、この呼称の背後でキリストを「子なる神」とする信仰が成立してくるからです。その観点からすれば、「子なる神」なるキリストを産んだ母なのだから、マリアは「神の母」である、という主張になるわけです。

 

3. 新約聖書にないギリシャ哲学の概念でキリストを論じた教会教父たち

 でもキリストが「子なる神」であるという文言は、新約聖書のどこを探しても出てきません。「三位一体」とか「三一神」、「神性」とか「人性」という文言も出てきません。「本質」とか「本性」、「位格」(ギリシャ語プロソーポン、ラテン語ペルソナの訳)も出てきません。そうした概念は、聖書的な言語表現ではなく、ギリシャ思想の諸概念です。逆に新約聖書は、神とキリストを常に区別しています。

 

何故ならば、新約聖書のキリスト信仰は、旧約聖書の唯一神信仰を継承しているからです。キリストを神とすると、唯一神信仰ではなく、どんなに強弁しても二神論になってしまいます。だから、「神の母」という文言も出てこないわけです。もちろん「キリストの母」という文言もありませんが、マリアはメシアの母ですから、ネストリオスの「(メシア=)キリストの母」という呼称は、事態に即しています。

 

4.「キリストは(子なる)神」か?

 私は、ネストリオスに意識的に肩入れしていますが、聖書に詳しい方は、いや「神の母」とマリアを呼んでなぜ悪い! 「キリストは(子なる)神」とちゃんと書かれているではないか、と反論されると思います。

 ローマの信徒への手紙9章5節を新共同訳は、

 「キリストは、万物の上におられる、永遠に褒め称えられる神。アーメン。」と訳しています。それ見たことか!と早とちりしないでください。この訳は、主語を意図的に取り違えています。キリストではなく、神が主語です。というのもパウロは、ここでイスラエルの遺産について語り、9つの事項を挙げています。それは、「神の子としての身分、栄光、契約」、「律法、礼拝、約束」、そして「先祖たち、キリスト、神」です。(ローマの信徒への手紙9章45節)これらは全部イスラエル人のものだ、とローマの異邦人キリスト者に向かって、パウロは主張しています。

 

 「肉によればキリストも彼らから(=イスラエル人から=畠山注)出られたのです」(5節)

と断言した後で、そのようにイスラエルに多くの恵みとしての遺産を、賜物をお与えになった神様を、パウロは、讃えているのです。

 (神も彼らのものであり、)」「万物の上におられる神は、永遠に褒め称えられますように。」(シュニーヴィント、カール・バルト、ハーカー、武田武長の読み)

 

 もう一箇所引用します。ヨハネによる福音書1章18節です。

 「いまだかつて神を見た者はいない。父の懐にいるひとり子である神、この方が神を示されたのである。」(新共同訳)

 この訳の元になっている写本は、後期の二つだけです。これも写本家が書き換えていると思われます。アメリカの改定標準訳(Revised Standard Version)を参照しながら訳して見ます。

 「いまだかつて神を見た者はいない。父の懐にいます独り子、彼が、彼(神 畠山挿入)を示されたのである。」(主要写本5つ)

 

 写本によっては「独り子なる神の子」とするものがあります。(主要写本5つ)つまり、「独り子」から「独り子なる神の子」となり、ついには「独り子なる神」へ至るキリスト理解の変遷が、写本に如実に表れています。しかし、「独り子なる神」は。10対2で、全く部が悪いですね。Newナンタラという英訳聖書がぎょうさん出回っていますが、「新共同訳」の「新」も含めてキリストを神とする写本を採用する傾向が強いですね、最近は。ユダヤ教との対話で私たちがショアー(=ホロコースト)以後に学んできたことと逆の傾向、トレンド、ヴェクトルです。これは一体何を意味するのでしょう? キリスト教とユダヤ教との対話への反動でしょうか?

 

 ユダヤ教では、タンナーイームと呼ばれたラビ(教師・指導者)たちが、口伝トーラーを一字一句間違えずに伝承してゆく努力を長年重ねました。そのようにして「ミシュナー」が成立し、その解釈「ゲマラ」と合わせてやがて書き下ろされて、「タルムード」が成立したわけです。それと比較して、こういう風に前の写本の伝承を自分の信仰の都合で勝手に変えてしまう、異邦人キリスト者の写本家って何者なのでしょう? 伝承に対する姿勢において、ユダヤ教とキリスト教には雲泥の差がありすぎます!

 

 最後に復活のイエス様に出会った弟子のトマスの告白を挙げます。

 「トマスは答えて、『私の主、私の神』と言った。」(ヨハネ福音書20章28節)

 これをトマスのイエス様に対する神告白と読むべきかどうか、そこが問題です。コンマがある写本とない写本があります。コンマがなくて続けると、主と神が同格となり、トマスがイエス様を神と告白したことになります。しかし、コンマで区切れば、トマスは、イエス様に「私の主よ」と呼びかけ、そのキリストを死者の中から復活させてくださった神様に「私の神よ」と呼びかけた、と解釈できます。私はコンマ付きの写本と後者の解釈をとります。

 

5. 唯一神信仰の枠内でキリスト告白を再考する

 新約聖書が正典として承認されるまで、初代教会から古代教会にかけて聖書といえば(旧約)聖書でした。新約聖書がまだ成立していないのですから、「旧約」聖書という表現も妥当しません。ユダヤ教は、自分たちの聖書を「タナハ」と呼んでいます。ユダヤ教は聖書を3区分するからです。トーラー(五書)とネビイーム(預言者たち)とクトウビーム(諸書)です。このヘブライ語の頭文字を合わせて、a(あ)の母音をつけて「タナハ」と読みます。この「タナハ」が神様について何を語っているか、そこに戻ってもう一度キリスト告白を再考し、神様とメシア=キリストとの関係を考え直す必要があります。

 

ショアー(=ホロコースト)以後に始まったキリスト教とユダヤ教の対話が、ドイツを中心にヨーロッパで続けられています。このコラムニストは、その対話の中へ招かれて、30年間ずっとユダヤ教を学び、「キリスト教とユダヤ教の関係刷新」について考察してきました。そこからイスラームも含めた「アブラハム的宗教「姉妹宗教3者間の対話へと視野は拡大しています。ですからここに掲載したキリスト理解は、私一人のものではありません。

 

6. ネストリオスは教会の東方宣教と景教

6.1 ネストリオス派教会の現在

 またちなみにですが、この異端とされたネストリオス派の教会が、現在もイラクなど中東に存在します。「アッシリア教会」を名乗っています。中東の大混乱の中で、「アッシリア教会」のキリスト者たちがどう生きているのか、本当に心配です。アメリカにも移民たちによって形成された「アッシリア教会」があります。サイトもありますので、the Assyrian Churchで検索してください、関心のある方は。

 

6.2 ネストリオス派教会=ムハンマドが出会った教会

 実は、イスラームの開祖ムハンマドが出会った教会は、このネストリオス派の教会だったと言われています。この出会いには大きな意味があった、と私は思います。一例を挙げれば、イスラームは、「一つの福音書」という主張をします。実際には4つの福音書があるのに、どうしてだろう、と不思議に思いませんか、皆さん? その理由は、「デアテッサロン」と呼ぶ、4つの福音書を時系列的に配列し直し、編集した福音書をシリアの教会(すなわち、ネストリオス派教会とシリア正教会)が使用していたからです。ムハンマドはこの福音書を入手して、読んだとされています。

 

6.3 中国のネストリオス派教会=景教

 このネストリオス派の教会が、「絹の道」を伝って唐時代の中国に伝来し、「景教」と名乗って流行したわけです。ご存知の方も多いでしょう。「景教」とは、「素晴らしい教え」という意味のようです。「景教流行碑」が、かつての長安(現西安)から発見されました。このレプリカ(模造品)が、真言宗の総本山高野山にあります。唐の長安に留学していた好奇心一杯の空海が、長安で流行していた景教の教会を訪ねなかったはずがない、と私は勝手に想像しています。

 

6.4 景教日本伝来?

  京都の太秦のとある仏教寺院が、いや何を隠そう広隆寺が、元は景教の教会で、その寺院を創建した秦氏は、景教の信徒だった、という説もあるみたいですが、歴史学の検証にどこまで耐えうる仮説なのでしょうか? こういう説を立てられることは、広隆寺にとってどうなのでしょう? 迷惑な話なのでしょうか? もし景教の教会だったと実証されたら、すごいことになります。キリシタン時代どころか、大和時代後期に日本にキリスト教が伝来していたことになるからです。ただ「寺社が語る秦氏の正体」(関裕二 祥伝社)の著者は、広隆寺景教説にもユダヤ説にも懐疑的です。時代が違う、というのですね。確かに秦河勝は聖徳太子の時代の人ですから、時代が合わない、というアポリア(難問)はあります。

 

 ただ広隆寺を巡って、ユダヤが関係しているという主張は、私もまがい物だと思います。いくらネストリオス派教会が、ユダヤ教に一番近いとはいえ、やはり両者は別な宗教です。日本人だけではありませんが、ユダヤ人の優秀さに憧れ、あるいは引け目を感じる人の中に、自分の民族とユダヤがどこかで繋がっている、と主張したがる人がいます。この心理が「ユダヤ幻想」を生みます。でもそれは「でっち上げられた幻想」です、ほとんどの場合。それに、この「ユダヤ幻想」の元になる「失われた北の10の部族」という伝説自体が、眉唾です。まるで北王国イスラエルのすべての民が、アッシリアによって強制連行されたかのような歴史の事実はありません。のちの南王国ユダの捕囚民と同じように、強制連行されたのは、国の主だった人々であって、民衆までもが根こそぎ移住させられたわけではありません。アッシリアが、新バビロニアによって滅亡させられた時、北王国の捕囚民が帰国したのかどうか、という問いは有効です。でも、アッシリアから世界中に散っていったという主張じたいが、「ユダヤ幻想」です。

 

 最後に、このお寺の門前に、仏教的「十戒」の碑があるのを、皆さんはご存知でしょうか? 仏教では普通「五戒」があり、「八正道」がありますが、「仏教の十戒」というのは、私は広隆寺を訪ねて初めて知りました。

 

7 おわりに

 以上、「神の母」というイエスさまの母マリアへの呼称を巡って、そう呼ぶべきだと主張したキュリロスと、いやマリアはメシア=キリストの母なのだから、「キリストの母」と呼ぶべきだと主張したネストリオスの論争から出発して、図らずも中国唐の時代の景教について、普段あまり注目されない教会史の一端を覗いてきました。そこで、「神の母」とマリアを呼ぶ背景にキリストをどう理解するか、という問い(キリスト論の問い)が横たわっていることを明らかにしました。

 

 この部分は、読者の皆さんには、読みづらかったかもしれませんね。ただ、キリストの「神性」とか「人性」というキリストの位格(プロソーポン=ギリシャ語、ペルソナ=ラテン語。このラテン語personaから英語のperson,personalityが派生)をめぐる論争が、結果としてキリスト教の「人格概念」を形成することになりました。この人格概念については、一度論じたいと思っています。そういう重要な箇所ですので、ゆっくり、じっくり読んでください。お願いします。

 

畠山保男

 

HOMEへ